「おはよう、ティー。……いい朝だね」
布団の中で目覚めると、見知った茶髪。半開きの金色の目に、目を大きく見開いた自分が映って、テイワズは悲鳴をあげた。
「る、ルフお兄様ー!?」ふわあ、とルフトクスは大きなあくびをして、テイワズを見て満足げに目を細めた。
叫び声がこだましてすぐに、部屋の扉が勢いよく開く。「どうしました!?」
「どうしましたか!?」同時に飛び込んできた色は二色。黒髪のロタと、紫髪のフォルティだった。
「おはよう、ロタ兄さん、フォル……ふわあ、あ……」
「なんでお前が同じベッドで寝てんだ!」
「ロタ兄さん、朝から怒りすぎー。いつもの口調が抜けてるよー」
ルフは面白がるように言ってそれから、布団を被り直した。……赤くなって固まったままのテイワズも入っている同じ布団を。
「ルフトクス!」
「なんで布団の中戻ってるんですか! 出てきてください!」
ロタとフォルティが布団をひっくり返すと、丸くなったルフトクスはまだ眠りを惜しそうに目を細めた。
固まっていた真隣のテイワズが、おずおずと口を開く。「あの、ルフお兄様……」
「なあにぃ? おれの可愛いティー」
テイワズの囁きに、甘く、とろけそうな──瞳と同じ蜂蜜のような響きで答えた。
深い蜂蜜の中に捉えられて、テイワズはまた頬を赤くする。なんで。 なんで、こんなに、甘く。 今までこんなこと、なかったのに。 今までよりはるかに甘ったるい、知らなかった声と、溢れたばかりの朝日に煌めく瞳。 動揺した。 目覚めて世界が変わってしまったのを知った。 婚約破棄と、突然の家族の真実。「……ドキドキした?」
微笑まれて、胸が高鳴る。
なんで。この人に。兄なのに。 見つめ合って蜂蜜は琥珀になりうると知る。 テイワズが胸元を抑えたところで、ロタがたまらず舌打ちをした。「いい加減に出ろ! ルフトクス!」
ロタがルフトクスの首元を掴んで、乱暴にベッドから引き摺り落とした。
「いててー……乱暴だなあ」
「あなたが悪いんですよ! ルフ兄様!」
真面目で規則正しいフォルティは、寝巻きのテイワズやルフトクスと反した外用の服を既に着ていた。
規則正しい生活を心がけているロタも、既に寝巻きではないが、髪型のセットがまだ甘い。髪を抑えて乱暴に整えて、ルフトクスを責めるようにいった。
「なんでこんなふざけたことをしたのか、教えてもらいましょうかねえ……」
「わからないの?」 返事は一言。聞いた二人の兄は固まった。 わからない。 ルフトクスの言葉の意味は、妹のテイワズにはわからない。「わからないわけ、ないよねぇ?」
けれど、その言葉を向けられる二人の兄は、まるでその言葉に思い当たることがあるような顔をした。
「ティーと結婚できるチャンスができたんだよ?」
(昨日の話は、本気だったの?)
テイワズは口を開けない。 ルフトクスは淡々と告げる。「……男として意識してもらうために、モーションかけるのは…………当たり前でしょ?」
(なんで)
テイワズは思う。黙る二人の兄に。 (馬鹿なことを、と怒らないの?) なんで笑い飛ばしもしないのかと、黙る二人の兄に対して思った。「ばっかじゃねぇのか?」
朝食の場に、一番最後に現れたヘルフィはそう言って片眉を釣り上げた。「ですよね! 兄様!」
フォルティが嬉しそうに顔を上げる。「いーや、ルフだけじゃなくてテメェら全員だ、ぜーいん」
そう言って人一倍バターを塗り込んだパンを口に入れ朝食を食べ始めた。
他の兄たちは憮然としながらも黙って、テイワズも食事の続きをした。
結局、昨夜は父親が逃げてしまったことにより血縁にまつわる話を聞くことができなかった。
昨日逃げ出した父親は、ヘルフィによるとそのまま馬車に乗り視察に出てしまい数日帰ってこないそうだ。
テイワズ自身もどっと疲れており、五人で話し合う気力もなく早々に寝室に下がった。
(眠れないかと思ったけれど、やっぱり疲れてたのね、よく眠れた)
けれど目覚めは鮮烈だった。
ルフトクスのせいで朝から大騒動になった。
身支度を整え三人の兄と食卓につき、一番最後に眠そうな顔をしながら現れたヘルフィが馬鹿じゃねえかと言ったのだ。「馬鹿とは心外ですね。責められるべきはルフ兄様でしょう!」
「先手を取っただけだよ。ねー、ティー。どう、ドキドキした?」
フォルティの言葉を浴びても、ルフトクスは余裕とばかりの笑みでテイワズに笑いかける。
(いやいや、そりゃあドキドキしたけれど!)
それは。 恋とかそういうのじゃなくて。「目覚めてすぐ布団の中に人がいたら誰だってドキドキします!」
そうだ。恋とかではなく、単純な驚き。
幼い頃は共に寝ることもあった兄たちとは、いつからかそんなこともなくなっていた。 寝物語の続きを共に語り合ったこともあったのに。 それもしょうがないことだと思っていたのに。 (|家族《きょうだい》でも男と女だからだと思っていたのに) 「ちぇー。なんだよー、おれだからドキドキしたって言ってほしいのにさぁ」残念。そう言ったルフトクスは、言葉とは裏腹の顔でコーヒーを啜った。
「ま、とりあえずちょっとは意識してもらえた? おれは本気だよー」
「ルフお兄様!」兄弟の中で一番真面目なフォルティが肩を上げる。
「フォルだって一緒にティーと寝たいんでしょ? ここはおれに怒るんじゃなくてティーを誘う場面じゃない?」
「一緒に寝るなんてそんなはしたないですよ!」煽るルフトクスと、それに乗ってしっかり怒るフォルティ。忙しなく揺れる茶色と紫色の髪にテイワズは何も言えない。
「けど、確かにルフ兄様に抜け駆けされた分……誘いたくはありますね」
フォルティが考えるように一度腕を組んで、それから。
「ティー。今日は僕と……」 「フォルティ! 抜け駆けはやめてください!」フォルティの言葉をロタが遮った。
(ぬ、抜け駆けって?) ロタが言葉を続けようと息を吸い込んだそのとき、「うっせー! テメェらさあ」
誰より低く、低血圧の朝の気だるさそのままに、ヘルフィが低く、それでも大きく言い放った。
「一緒に寝たいだの抜け駆けだの、全員馬鹿かっつってんだよ。よくわかんねぇ親父の言葉一つでいきなりさぁ」
おい、と言われただけなのに、テイワズは自分のことを呼んだのだとわかる。
往々にして口の悪い兄。それでも優しい、オスカリウス家の長男。だから、乱暴な口調も怖くない。「テメェも嫌だったら嫌ってちゃんと言え。俺様たちがテメェの言うこと聞かねぇわけねぇだろ」
「ごめんなさ……」
そうよね、と思い口を開いた。
(私がちゃんと言わなきゃね) だからちゃんと、戸惑ってることを言おうとした。息を吸い込んだ。「じゃあおれがまずちゃんと思ってることを言うね」
それを、ルフトクスが遮った。
兄弟一の甘い顔で、甘い声で。真剣に。「ずっと妹だと思ってたけど、妹じゃない可能性があるなら、おれはティーが大好きだから結婚したいよ」
なんで。なんで他の兄弟は黙って聞いてるの?
まっすぐな金色の視線に、テイワズは目を背けられない。「実の兄じゃない確率は五分の四でしょ? そんなの、賭けるに決まってる。おれはきみに選ばれたい。だから」
「ルフトクス、朝からずるいですよ」
割って入った声は、ロタの声。
眼鏡をくいと押し上げて、青い瞳でロタを制した。「自分だって、同じ気持ちです。ティー」
「え、ロタお兄様……?」さすがに戸惑いを隠せなかった。
青い瞳が燃える様子に、テイワズは思い出す。 一番理知的に見えて、けれど理性的じゃない──この二番目の兄のことを。「ティーが妹じゃなければと思ったことは、自分だってあります。それが本当になるとは思いませんでした」
ロタが息を吸い込む。
「
「ちぇー、いいところで止めないでよー」
「兄様方、抜け駆けが早すぎます! 僕だってティーに言いたいことがあるんですからね!」
え。先ほどからの目まぐるしい言葉と、紅茶よりも甘い言葉の連続に、テイワズはもう眩暈がしそうだった。
(ど、どうすればいいの!?) 混乱するテイワズと兄たちの間に、降った声は長男の声だった。「だからテメェらさぁ」
ヘルフィは乱暴に口を拭う。
「とりあえず朝飯食っちまえよ! 俺様はもう食べ終わるぞ!」
そう言われて、三人の兄とテイワズは、慌てて食事を食べ終えた。
*「テメェ逃げんな! 馬鹿!」 怒声とともに迫る声に、走りながらも、ひいっとテイワズの肩が上がる。 「お兄様が鬼気迫る顔で追いかけてくるからじゃないですか!」 暗闇の中を、金と銀が駆ける。 その様子にまばらだに道ゆく人は通りを開けた。 (さっきもいっそのこと思いっきり走ってればよかった!) その方が絡まれずに済んでいたかも、なんて思っても後の祭りだ。 なびくテイワズの後ろ髪に、ヘルフィは叫ぶ。 「テメェが止まればいいだろ!」 兄は乱暴な言葉遣いだが、優しいのを知っている。それでも立ち止まらないのは、逃げ出したことが後ろめたいからだ。 「少し一人にしてください!」 「こんな時間に一人にできるわけねぇだろ!」 二人の距離は確実に縮まっているが、それでもヘルフィはテイワズまで届かない。 幼い頃から兄たちに混ざって遊び、逃げ出すことも多かった。 それは、逃げることを十八番にするほどテイワズを俊足にさせた。 もう後少しでヘルフィの手がテイワズの肩を掴めそうだった。 道の利はない。テイワズはエイルの家の脇を通り過ぎて、森に踏み入る。 「クソッ!」 森にテイワズの影が消えて、ヘルフィが悪態をつく。それでも追いかけるのをやめなかった。 草木はテイワズに跪かない。 それでも白い手で草をかき分け、森の奥へ進んだ。ただヘルフィが足を止めてさえくれれば、テイワズも進む足を止める予定だった。 なのに兄は、立ち止まってくれない。 (もう、なんで) 不確かな足元の森の中は、ヘルフィの方に利があった。筋肉質な腕で乱暴に茂みをかきわけ、長い足で草木を踏破していく。 「危ねぇだろ、止まれって!」 「止まります!」 テイワズは振り向いて声を張り上げる。 「お兄様が止まったら!」 「テメェ……」 聞こえたヘルフィの唸り声に、テイワズはもう一度歩みを進めた。 そして、足を滑らせる。 「あっ」 足元が暗いから。注意が後ろに向いていたから──理由は複数あったが、結果は一つ。ぬかるんだ足元に気が付かず、濡れた草木に足が滑ってしまった。 「おいっ!」 ヘルフィの声が聞こえた。 ほぼ同時に、ばしゃん、と水面が割れる音が静かだった森に響く。息を顰めていた鳥が飛び立ち、俄に森がさざめいた。 転がる視界に月が見えて
エイルの家を出て歩き出し、道行く人通りも増えてきたところで、エイルがテイワズに手を差し出した。「はい」 テイワズの迷いは一瞬だった。 それでもそれより早く、エイルの方が口を開いた。「こんな時間に女の子が一人だと思われたら、危ないでしょ。ほら、ね」 そう言われてその手を取った。 それにエイルの方が驚いた顔をしたから、テイワズも戸惑ってしまった。「……お兄様?」「あ、うん。なんでもないよ」 なぜ触れた手を見つめて数秒止まったのか、今も目を細めてるのか。 テイワズにはわからなかった。 気がつけば太陽は落ち、辺りは温かみのある色から冷たい色に変わろうとしている。「あはは、いい夜」 路上で演奏している人たちがいるようで、広場から音楽の音が聞こえた。 やけに視線を感じる気がするのは、特別美形な兄のせいだろう。周囲を見れば女性の一人と目があった。「どうしたの?」「なんでもありません」「あはは。ごめんね、俺よくこのあたりにいるからさ」 知り合い多いんだよねー。 と言ったエイルは、やっぱり人の心を覗いているんじゃないかとテイワズは思った。 音楽を聴いて土産物を見た。同じ国なのに土産物には地域の特色が出る。見惚れている間にエイルは店主と話をしていて、それから食材を買って帰路に着く頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。 下がった外気に、経った時間に。 あれだけ混乱していた頭が冷静さを取り戻す。 家は大丈夫だろうか。 ルフトクスは、大丈夫だろうか。(こんな時間になってしまった) それでも、家とは違う古い扉が開いて、どこか安心してしまう自分がいた。「ごめんねー、お腹すいたよね。さっそく作るからね」 キッチンに向かう高い身長の背中の隣に、テイワズは立った。「手伝います」「あはは。いいのに……じゃあそこの野菜の皮剥いてくれる?」 テイワズが処理した野菜を、エイルが鍋に入れていく。 かぐわしい匂いが部屋に漂った頃、テイワズが部屋の窓の外を見た。 すっかり暗くなった外に、連絡しなくて大丈夫かと心配する。「さっき家の方に遣いを出してもらったから、安心して」 手元を見ながらかけられたエイルの言葉に、テイワズは驚く。「ほうら、出来上がり。さ、食べよ食べよ」 エイルは手際良く作った料理を皿に持った。 テーブルに並んだ食器が二人分
「この馬鹿!」 ロタの声に、ルフトクスが顔を顰める。「うるさいなあ。……どうせ兄さんだって同じようなこと言ったでしょー?」「くっ……! オレとお前の話は別だ!」 ロタが自分のことをオレというときは余裕がない時だと、この家の者なら誰もが知っていた。 テイワズが家から逃げ出した直後、ヘルフィとロタは走り去る馬車に驚いた。その場に立ち尽くすルフトクスになんとなく事態を把握するが、午後の仕事も控えていたため、話すことができなかった。 夕方やっと、代わりの馬車で向かった仕事をこなして、兄弟四人で話していた。 戻ってきた御者に話を聞いてきたフォルティが部屋の中に入る。「エイル兄様に会いに行ったらしいです!」「は? エイルに? 居場所をどうやって……」 聞いたヘルフィが眉を顰める。 顔を上げたのはロタだった。「先日エイルの絵を見ました。そこで、東の街でエイルと思わしき画家に絵を描いてもらったと聞きました……」「は?」 ヘルフィが獰猛に犬歯を覗かせる。「なんで言わねぇんだよ」「話そうと思ってはいたのですが、タイミングが……」「ああクソッ」 銀髪を乱すヘルフィに、ロタが声をかける。「探しに行きますか?」「見つけて戻ってくるとも限らないんだよねー」「誰のせいでそうなったと思ってるんですか!」 ロタの言葉に剣呑な答えをするルフトクスに、フォルティが肩を上げた。 三人の弟の様子を見て、ヘルフィはチッと舌打ちをした。
案内されたのは、広場から少し離れた住宅街の外れだった。すぐ後ろは森になっており、整備された街中とは言い難い。「ここだよ」 そう言って示されたのは、庶民の家というにも質素なつくりの一軒家だった。 オスカリウス家の屋敷の何分の一か、食事をする一部屋よりも小さそうな、古い家。「あはは、びっくりした? 家の広間より狭そうでしょ?」 テイワズの思考を見透かすかのように、エイルはそう言った。頭ひとつ以上は高いところから落とされる声に、テイワズは顔を上げる。「大丈夫、別に馬鹿にされてるなんて思わないよ。俺も思ったもん。まあ単純に、小さいよね」 エイルの微笑みにテイワズは安心する。(お兄様、変わってない) 人を見透かす感じも、それでいてすぐに安心させようとするところも。──その優しさが。(あの頃のままだ) 一体どこから話そう。 どこから生活は分岐していただろう。 エイルが扉に手をかけた。 くすんだ真鍮。古い扉が、音を立てて開かれる。「この街に来る時はこの家を借りることにしてて──あ」「エイル?」 開きかけた扉の向こう側から、声がした。 女の声だ。「…………あ、忘れてた」 狭い家は開かれた扉から室内のすべてが見える。 質素なベッドフレームの白いシーツの上に。 瑞々しい若さの女性が、いた。 その姿を見たテイワズは開ききった玄関の外で驚きに体を硬直させた。(裸!?)「おかえりなさ……って、何よその女!」 声と共に勢いよく枕が投げられた。「おっと」 エイルは片手でキャッチすると、部屋の中の女に向けて笑った。「あはは。ただいま」 白い枕をぽんぽんと叩きながら部屋の中に入る。「妹だよ妹」「妹?」 女性からの鋭い視線に、ひっ、とテイワズの肩が上がりそうになる。(いや、それはだめだ) 女として。彼の妹として。オスカリウス家の子女として。 矜持は強靭でなきゃ、意味がない。(お兄様の…………恋人?) そう思った。そんな女性に失礼な真似はできない。 息を吸う。 真っ直ぐ届けるつもりで声を出す。「あっ、あの! 私は妹のテイワズ・オスカリウスと申します」 裸の女性はシーツを纏ってテイワズの元に歩み寄った。剥き出しの方と、素足で歩く音。 エイルは余裕の笑みを浮かべ、テイワズは緊張の面持ちだった。 鼻先が触れそうなほ
家の近くの広場とはまた違う賑わいに、違う街に来たのだと感じた。広場の噴水の前に止めた馬車から降りる。 本当に大丈夫ですか、と心配する御者に、テイワズは大丈夫だと頷く。「エイルお兄様に会って帰りますから……帰りは流しの馬車で帰りますので」 そう何度か言ってやっと、御者は戻ってくれた。(さて、うまく会えるかしら) 頼りにした情報は、先日の男爵夫人から聞いた話だけ。 ──東の街で会ったエイルという金髪の画家。 絵を見てわかった、この絵は兄の絵だと。 その画家は兄のことだと。 オスカリウス家の三男、エイル・オスカリウス。 魔術の学校を卒業するなり家を出てしまった、離れて暮らす兄。 画家として生きてくからと、家族の引き止める手を無視して軽く手を振って出ていってしまった。 定住することなくふらふらと国内を巡っている様子で、最初の頃は手紙が来ていたが、いつしか手紙はなくなり居場所もわからなくなってしまった。 ヘルフィが最後に知った住所に、テイワズのデビュタントの日を知らせる手紙を送っていたようだが、返事もなく届いていたかすらもわからない。 ──その手紙の宛先も確かこの街ではなかった気がする。 男爵夫人だって絵を描いてもらったのは先月だと言っていた。今もこの街にいるのかわからない。(とりあえず) 宛ては画廊だ。 テイワズが歩き出した。石畳を踏むヒールの音が、確かに進んでいると実感させてくれる。(きっと見つかる) その願いが叶ったのは、天が味方をしたわけではなく、降りた場所が良かった。テイワズは知らなかったが、東の街のこの広場は人通りが多く、様々なアーティストが集まる場所だった。 噴水の反対側。画廊の近く。 その場所にその人だかりはあった。 彩り豊かな人だかりで、若い女性ばかりだった。 高い声の飛び交うその中で、低い声はよく聞こえた。「あはは、みんなありがと~、ちゃあんと順番にみんなのこと描いてくからね」 聞き覚えがある声だった。 足を止める。女性たちの輪から突き出た、高い位置の金髪はよく目立った。「大丈夫もちろん二人っきりになりながら……ね。あはは」 金髪の男が周囲の女性たちを見渡す。その目の色は──テイワズが思った通りの、緑色だった。(お兄様) 男性にしては長めの金髪。若葉色の目。 見間違えるわけがない。テイワズ
半刻ほど経っただろうか。 変わる街並に、思いを馳せられない。 変わったように感じる、兄弟のことを思い出す。(どうしてみんな) 変わってしまったのか。(私は何も変わってないのに) あの日から、向けられる視線の色が変わった。視線が帯びる温度は高くなった。 わかってしまう。(ずっと一緒にいたから) きょうだいだったから、わかってしまう。(なのにどうして、きょうだいじゃなくなろうとするの?)(恋よりも、家族愛の方が信じられるのに) 婚約破棄の一件は、声にしないだけでテイワズの心に傷を残していた。 兄たちが触れないようにしてるから触れないようにしてるだけ。 だから膿んだ傷は、そのまま。(思い出せば、今も胸が痛い) どうすればいいのかわからない。 フォルティの仕草も、ロタの視線も、ルフトクスの言葉も。 すべてが今はもう──(私を、女として見ていた) それがわかる。女として生きてきたからわかる。(あんなに真っ直ぐに言われてしまったら) 言われ続けてしまったら。(どうすればいいのか、わからない……) だから逃げ出した。衝動のままに走り出した。 知ってる場所が、知ってる人がいるところが、東の街しかなかったから。 曖昧な情報を頼りにするほど、心がふらついてしょうがなかった。(……お兄様) 思い浮かべたのは、同じ金髪。 御者が馬を走らせながら、馬車の中にいるテイワズに声をかける。「お嬢様、東の街に入りますが、どのあたりに行きますか?」 言われてテイワズは言葉に迷う。「ええっと……」 ここに来るまでに考えようとしていたのに、結局答えが見つかっていなかった。 素直に道のプロの話を聞くことにする。「一番人がいそうな場所って、わかりますか……?」「ああ、えーっと、それなら」 自分もそんなに知ってるわけじゃないんですけどねえ、と前置きした上で御者はテイワズに話した。「噴水のある広場が、店とか多くて賑わってるみたいですよ。食べ物だけじゃなくて宝石商とか、画廊もあるとか」「画廊!」 テイワズ見開かれた目が輝いた。「では、そちらにお願いします!」 わかりました、と御者は頷く。「それにしても、大丈夫ですか? 突然おでかけになられて……どちらへ?」 御者の心配はもっともだ。家に雇われている彼に迷惑をかけないよう、テイ